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沖縄印刷団地協同組合WEB


トピックス

 このページは、団地内の主な出来事やお知らせ、各組合員企業の新しい商品、これまでの主な出版物などを紹介するオールラウンドのトピックス・コーナーです。


最近のニュース

2017年



第12回文字活字事業への応募ありがとうございました。最終的に
中学72、高校54の計126作品がありました。
11月18日、26作品の入選、入賞作を表彰し終了いたしました。

表彰作品は以下の通りです。

中学生の部
県知事賞  南風原中2年・高原心優
県教育長賞 屋部中3年・米盛光織
審査員長特別賞 安慶田中2年・浦添凜音
沖縄印刷団地組合賞 玉城中3年・嶺井舞子
沖縄タイムス社賞 羽地中3年・與那嶺柚季
入選
多良間中3年・石原英子、美東中2年・島田奈々美、豊見城中2年・
崎原南歩、石田中3年・前里美夢、東風平中3年・慶田盛結、開邦中2年・生沢浩一、神原中1年・川上灯、玉城中3年・糸数万利菜。

高校生の部
県知事賞 与勝高校3年・平田もも
県教育長賞 与勝高校3年・宮里竜希
審査委員長特別賞 那覇国際高校2年・来間れいな
沖縄印刷団地協同組合賞 沖縄工業高校3年・山城紘功
沖縄タイムス社賞 普天間高校2年・普久原秀斗
入選
コザ高3年・新垣結花、同1年・比嘉らら、同1年・宮城圭佑、与勝高2年・島袋恭、読谷高3年・糸数瑞穂、同3年・高江洲杏穂


中学生の部 県知事賞受賞作品
「虹色のチョークから考えたこと」

 南風原町立南風原中学校二年 高原 心優

 夏休み期間中、静岡から帰省していた叔父と「社会で働くこと」の意味について話す機会がありました。私が考える社会で働くことの意味は、お金を稼いで、家族を養うことだと思います。生きていくために必要な最低限のものは、大概お金がかかるからです。ちょうど今年は職場体験もあり、人はなぜ働くのかという話題が出たとき、私の素直な意見を叔父に話しました。すると、叔父から、私の考えはとても表面的な考え方だと指摘されました。その時、叔父が私に一冊の本を紹介してくれました。それが『虹色のチョーク』という本です。

 今、私たちの学校で使っているチョークは、ダストレスチョークといって、業界シェア第一位を誇る日本理化学工業株式会社で作られています。そのチョークを作っている会社で働く人たちの約八割は、知的障害を持っている、ということをこの本を読んで初めて知りました。知的障害があっても、そこで働く社員は、私以上に働くことの意味を知っています。「日本で一番大切にしたい会社」とも言われる会社社長の大山さんと社員の苦悩と葛藤を描いたこの本から、私は本当の「働くことの意味」について考えることができました。

 叔父から、働くことは、「人に愛されること」「人に褒められること」「人の役に立つこと」「人に必要とされること」だと教わりました。聞いた時は、あまりピンときませんでしたが、『虹色のチョーク』という本を読んで、叔父の言いたかったことが理解できました。読んだ後、私の周囲で働く人たちの姿が思い浮かびました。どんな仕事でも、皆それぞれの場所で生き生きと働き、輝いている姿が見えました。それは、社会に貢献しているという自覚と、人の役に立っていると実感できているからだと思います。人の役に立つということは、人に必要とされているということです。叔父が伝えたかったことは、こういうことだったのだと、胸が熱くなりました。それと同時に、これまでの自分の中にあった「働くことの意味」がなんて表面的で、無知なのだろうと、恥ずかしくなりました。こんな気持ちで職場体験に臨もうとしている自分が、あまりにも恥ずかしく、改めて自分なりに「働くこと」について、考え直してみようと思いました。

 人は誰でも、誰かに必要とされたいと願います。たとえ、小さな子供でも、お年寄りでも、体に心に障害をかかえていたとしても、人が生きている以上、自分の存在価値を確かめたいと願います。そんな人の心理が、働くことの意味に繋がっているのではないかと考えました。私はまだ中学生で、社会に出て働くまでに、まだまだ時間があります。だからといって、何もしない訳にはいきません。働くことの根底に、社会貢献や自分の存在意義があるのなら、学校で自分のできることをやればいいのではないかと思いました。

 私は今、放送委員に所属しています。全校生徒に言葉で情報を伝える大切な仕事です。また、この夏休みには、全国中学校ハンドボール大会の開会式や閉会式で、アナウンスをする機会をいただきました。大勢の前で厳粛な雰囲気がありましたが、自分のアナウンスで式典が進行していく様子を見て、自分の役割の重さ、責任の重さを感じました。プレッシャーもありましたが、やり遂げたときの達成感は、言葉で表現できないほど、胸にこみ上げるものがありました。叔父はこの気持ちを私に伝えたかったのだと思いました。

 「社会で働くことの意味」は、自分のできる力で誰かの役に立ち、自分の存在意義を実感することだと思います。それは、「生きる意味」にも繋がっています。大人であっても子供であっても生きている全ての人に当てはまります。私も、自分のできることで誰かの役に立つ、必要とされる人でありたいです。



高校生の部 
県知事賞 受賞作品

「平和を発信するために」

県立与勝高校三年 平田 もも

 私は、朝一番に新聞を広げる。新聞に並んだ活字を通して、今世の中で起こっていることを知る。確認する。過去の出来事について知る。スポーツの話題からは感動を得、同じ高校生の活躍に励まされ、新技術の開発が伝えられると、未来に期待を持つ。一方で、社会問題の記事を読むと、このままではいけないと、不安で、押し潰されそうになる。そんな時は、記事や投稿された様々な意見を読む中で、自分の考えを深め、希望を模索する。何度も何度も読み返しながら。そんな毎日を過ごしていくうちにいつしか私は、記事を書く側になりたいと思うようになっていた。

 私の将来の目標は、新聞記者だ。事実を正確に伝え、読んだ人がしっかりと判断出来るような記事を書きたい。平和の大切さを発信することが出来るような新聞記者を目指している。

 私がそう考えるようになったのは、昨年の十二月、名護市安部の海岸にオスプレイが墜落した時の一連の報道を見てからだ。事故が起こった場所は、集落からわずか八百メートルの海岸だった。乗組員五人全員が救出されたが、二人は負傷した事故は、「着水」「不時着」などとも表現された。私は、事故の様子が様々なメディアを通して報道される度に、どのように表現されるかを毎日気にかけていた。表現の仕方によっては、事故が過小評価されてしまう。言葉の使い方によって受け取る側の印象が変わってしまうことに恐さを感じた。

 私が、新聞記者にこだわるのは、文字を通して事実や思いが伝えられるからだ。そして文字は、私たちが「正しく判断」をするために必要不可欠であり、大切なものだ。戦前の日本では、本や新聞の表現に規制がかけられ、教科書までもが墨で塗りつぶされた。国民が正しく判断するための文字を失った過去があるのだ。そして政府は、新聞やラジオを利用して国民の意識を戦争へと煽った。日本は戦争の道を突き進み、沖縄は地上戦に巻き込まれた。悲惨な戦争は何の罪もない民間人も犠牲にし、それまで美化されてきた戦争が醜いものであることを証明した。同じ過ちは決して繰り返されてはならない。平和を守るために、文字が真実を伝えるべきだと歴史は語る。

 今年の夏、私はある新聞記事を通して、憲法が保障する国民の知る権利とは何か、表現の自由とは何かを考える機会を得た。それは、辺野古新基地移設現場の海域で撮影された写真と文章が規制を受けるかもしれないという記事だった。沖縄の新聞報道に自主性・独立性が失われたら私たちは真実を知ることができない。沖縄に住んでいるからこそ私たちは、米軍基地について詳しく知る権利がある。その手段を奪われてしまったら、主権者である私たち一人ひとりの判断を鈍らせることになる。

 国民一人ひとりが正確な情報をもとに判断をすることが、民主主義社会の土台になることを私はこれまで学んできた。一人ひとりの意思こそが国を動かす大きな力になると。そのためには、賛否両論やメリット・デメリット、問題の背景や側面まで考えることでよりよい選択に繋がると私は思う。

 メディアが戦争を煽り、反対する人々を弾圧した歴史を反省して今の沖縄の新聞界があるという。沖縄の新聞社はかつての新聞が沖縄戦の加害者であったという意識を持ち、悲惨な歴史を繰り返さないため平和の発信を大切にしているのだ。

 一方で、「沖縄の新聞には偏ったものがある」「恣意的な世論操作だ」などの見方があることも事実だ。たしかに基地問題について容認派の意見はあまり目にしない。私は、容認派の人々の意見も沖縄県の民意の一つとしてもっと載せるべきだと思う。

 それは、基地を巡る問題が複雑になっているからだ。地域の人間関係を崩し、住民の声を封じている現状がある。自分と家族の生活を守るため、意見を変えた人もいる。特に米軍基地の問題は、多角的に考えることが大切だと思う。

 米軍基地の問題だけではない。様々な情報があふれる中、私たちは、日々判断を求められる。だからこそ、私たちは文字や活字を何度も繰り返し読む中で考えを整理し、自分の生き方を模索するのだ。

 私の大好きな沖縄には豊かな自然がある。琉球王朝時代やそれ以前から続く独特な文化がある。また、観光立県としてさらに発展するための課題がある。私は、新聞記者になって、日々沖縄の最新情報を発信したい。多くの新聞記者を活気づけたい。観光客だけではなく、沖縄で暮らしている人々にも、もっともっと沖縄を好きになってもらえるように。


中学生の部 県教育長賞 受賞作品

「文字活字は生きる力」

名護市立屋部中学校三年 米盛 光織

 私の毎朝の習慣は、新聞を読むことです。登校前に、気になった見出しの記事や、学校で話題になりそうな記事を読んで登校します。

 そのことが習慣づいたわけは、家にテレビがないことです。なぜテレビがないのか母に聞いた事があります。私が生まれる前、強い台風が襲来しアンテナが飛んでいってしまいテレビが見られなくなってしまったそうです。その後も必要性を感じず、テレビを置かなかったと、母は笑いながら教えてくれました。

 最初は、「学校で、友達が話しているドラマやバラエティー番組を見たいのにな。」という不満もありました。でも、新聞を読み始めてから、そんな思いはいっきに吹き飛びました。私が新聞を読み始めたのは、小学校三年生頃からです。日曜日に入る子供新聞を読み始め、学年が上がるにつれ、普通の新聞も読むようになりました。中学生になると、英語や地理、公民の授業の影響で、国際面や政治面、経済面も読むようになりました。

 私は、新聞を読む習慣のおかげで、文章を読み取るスピードがとても上がったと思います。特に、国語と社会では、新聞でつけた力が読解力に活かされていると感じます。また、新聞の「おすすめの本の紹介欄」を読んで、いろいろな本と出会えました。読書好きの私は、本関連の記事を読むことが、朝の楽しみの一つとなっています。気になった本はすぐに市立図書館でさがして借りたりします。朝の新聞を読む習慣は、私にとって一日のエネルギー源です。楽しく有意義な一日を送るためにとても重要です。

 私達の家族は本や新聞の記事について、それぞれが自分の考えを思い思いに伝えあいます。父も母も兄も私も家族全員が本好きな一家なので、その時間は本当に楽しくコミュニケーションがとれるステキな時間です。母はいつも私に言います。「自分だけの考え方だけではなく、色んな考え方や意見がある。それをどれだけ受けとることができるかが大切だよ。」と。色んな視点から幅広く物事を見つめることの大切さを教えてくれた両親に私は心から感謝しています。文字活字を家族で共有することが私達家族の宝物であり支えにもなっているのです。

 でも、最近、私の周りの人は、スマホばかりで、テレビは見るけどニュースには関心がないらしく、図書館にもあまり足を運びません。新聞で読みましたが、文字活字に触れる機会が少なくなっている若者が増えてきているのです。ある人は言います。「スマホのLINEやメールだって文字には違いない。新聞や本を読まなくても何の不便も感じない。逆に情報が瞬時に入ってくるスマホ等の方が便利でいいさ」と。私もスマホやテレビ等の電子機器が悪いとは思っていません。でも、それ以上に大切なものがあるのではないかと思うのです。そんな折り、私は、ある記事に出会い衝撃を受けました。

 それは、東日本大震災直後に、新聞を発行した「石巻日日新聞」の記事でした。その地方新聞の記者達は、自身の家族の安否も分からない中、印刷設備が水没した中、生死をかけながら最前線で取材を行い、手書きの壁新聞を作成したのです。避難所などに貼り出された壁新聞は地域住民の貴重な情報源となりました。必死で書いた手書きの文字が人々を励まし、生きる力と勇気を与えたのです。電気も何もないところから、ペンだけを持ち命をかけて書いた六枚の新聞の写真を見た時、私は大きな感動を覚えると同時に、文字活字の持つ力のすごさを確信しました。

 私はこれからも、朝の新聞を読む習慣や読書を続け、心を耕していきたいです。そして、文字活字の真の意味での大切さを忘れずに今以上にたくさんの文字活字にふれ、自分の視野や可能性をどんどん広げていきたいです。未来のステキな自分と出会うために。


高校生の部
県教育長賞 受賞作品

「沖縄の建築のこれから」

県立与勝高校三年 宮里 竜希

 最近、新聞でよく沖縄の建築について取り上げられた記事を見かける。瓦職人や人手不足など様々だが、一番衝撃をうけたのは建物の耐久性について取り上げた記事だ。その記事の内容は、震度六以上の揺れがくると崩れる建物がある。というものだった。その危険な建物のリストに小学校など、頻繁に人が出入する場所が多く挙げられていた。

 近年、東日本大震災や熊本での地震など大きな地震が多くなってきた。沖縄の長い歴史の中でみると、地震で大きな被害に遭った事例は滅多に見ない。しかし、自然災害大国である日本では、いつ、どこで、どのくらい大きな地震が起きるのかは知ることはできないが、その対策は十分、今からでもできることである。そして、観光立県でもある沖縄は尚更、建物の耐久性、耐震性、快適さにこだわっていく必要があると私は考える。

 沖縄の現代建築はRC構造(鉄筋コンクリート構造)が主流である。RC構造は耐久性・耐震性・耐火性に優れ、台風の多い沖縄の気候に適した建築だと思える。しかし、コンクリートには様々な問題がある。特に、材料である砂に海砂を使い、鉄筋が腐食し耐久性・耐震性に問題がでること。もう一つは、コンクリートの性質にある。それは、蓄熱するということだ。日射しの強い沖縄では朝、昼でコンクリートに蓄えられた熱が完全に冷めるのは夜中までかかるといわれている。それだと、エアコンをかけっぱなしにしないと熱が冷めず、暑くて寝つけないことが多々ある。つまり、快適さに欠けているのだ。現代建築では、コンクリートの欠点を上手く対処し、かつ、「沖縄らしさ」のある建築をしていく必要がある。 古来、沖縄では、木造建築が主流であった。しかし、第二次世界大戦などで森が焼けてしまい、材料である木材の入手が困難になったりと、様々な理由から沖縄の木造住宅は年々、減少してきた。また、シロアリや台風対策、耐震性・耐火性についてRC構造と比べると、木造の住宅はそれほど頑丈ではない。しかし、RC構造と違って快適さは格別に良い。実際に沖縄に現在する最古の木造住宅である中村家住宅に行ったとき、心地良さを実感した。部屋には湿気がこもらず、風通しが良く、台風が来ても耐えられるような造りになっている。 

このように、「昔」と「今」の建築を比較することでわかるとおり、「今」の建築にないものは「昔」の建築にある。つまり、現代建築の良さを生かしつつ、先人達の残した知恵も取り入れながら沖縄の気候風土と調和した建築をしていく必要がある。そして、沖縄の建築物に「沖縄らしさ」を追求していく必要があると思える。 

本土とは違う独特の文化を持つ沖縄は、その風景や自然、文化をうりに観光で栄えてきた。現在の沖縄の都市部では、「沖縄らしさ」の無くなった町なみになったと言われるようになった。沖縄の町なみが次第に消えてきたのは、沖縄が近代化していく中で、避けては通れない道のりだったにせよ、何か打つ手はあったに違いない。この今の沖縄と似たようなことがインドで起こっていた。インドの都市部の都市計画をイギリスの建築家が行った。結果として、都市計画は成功した。しかし、その地域は昔から近所の人達とよく会話したり、コミュニケーションが盛んだった。だが、都市計画で大きなデパートができると、それはすっかり変わってしまった。今までは近所でよく会話をしていたのが一切なくなり、皆、都市部に集中してしまったのだ。この都市計画が成功したことは、インドにとって素晴らしいことだ。しかし、その地域の「らしさ」を失ってまでも得る価値はあったのであろうか。私はそうとは思えない。このようなことが今、沖縄で起こり得るのだと私は思う。もっと沢山の地域で近代化に励み、モダンな建築をしていくのか。地域の特色を生かした建築をしていくのかは、私達のような若い世代がその役割を担っているであろう。また、「沖縄らしさ」の普及についても同じだ。それを解決するためには、消えつつある沖縄の伝統建築である琉球建築や、屋根に瓦を付けたり、シーサーを置く。など方法は何通りもあり、すべてが正しいと思う。そうすることで、都市部にも「沖縄らしさ」が溢れ、観光も更に盛んになると思う。観光立県である沖縄では、サービスの質はもちろん「沖縄らしさ」のある街なみを更に追求していくことが重要だ。それが、もっと沖縄について知りたいと思ったり、また沖縄に来たい。と思わせられるような「沖縄」をつくれるのではないかと私は考える。