沖縄印刷団地協同組合WEB

創立30周年座談会

さらに和と輪を広げよう

出席者(順不同)

part 1

外間政憲(光文堂印刷)
宮城剛(司会・サン印刷)
照屋唯昭(沖縄印刷協同組合)
古堅金一郎(グローバル印刷)
小橋川武一(うるま印刷)
宮良用勝(沖縄高速印刷)
小濱保(グローバル印刷)
福山俊行(福山商事)
島袋國雄(沖縄プロセス)
与那覇義雄(アシスト)
外間政輝(沖縄製本)
久場ふさ子(専務理事)
司 会 皆さんこんにちは。開催の前に外間理事長から一言ご挨拶をお願い致します。

外 間 本日はお忙しい年度始めにもかかわらず、座談会にご出席いただきありがとうございます。
印刷団地設立当初を振り返ってみますと、当時は琉球政府時代で、日米両政府より、2年後に沖縄が本土復帰をすることが発表され、いろんな意味で沖縄の印刷業界も過渡期にありました。
 まず、沖縄印刷工業組合が世話人となり昭和45年12月に沖縄印刷団地協同組合の設立総会が開催されましたが、組合員の加入調整に時間がかかり、登記は1年後の昭和46年12月に済ませました。
 それから、具体的な建設事業を開始し、昭和46年12月浦添村(当時)で土地を購入しましたが、後に新制度の土地の用途指定の関係から工場は建設できない事が判り、再度土地を物色し、昭和47年12月に現在の南風原町に用地を確保し、以来30年を経て今日に至っております。
 幸いにも組合事務局には、きちんと整理された資料、写真等があり、30周年記念誌を発刊するうえで、大変助かっておりますが、これは新垣三津夫元専務理事のおかげであり、大変感謝致しております。
 では、宮城副理事長、司会進行をよろしくお願いいたします。

司 会 早速、座談会を進めていきたいと思います。
今日は、印刷団地完成後の組合運営がスタートしてから、担保載せ替え等を伴なった再配置事業の終了までの30年間を中心にお話を伺いたいと思います。その前に、印刷団地の構想が出た頃の県内印刷業界の状況を外間理事長から簡単にご説明をお願いします。

外 間 他府県の同業者と比較して、沖縄県は技術力、資本力にかなり違いがありました。特にその頃は日本経済は高度成長時代に入っており、所得倍増計画もほぼ達成されようとする頃でしたから、全国的に工場団地等ができ、営業的な面や、生産的な面、さらには経営的な面において、相当効果が上がっているのをいくつか見てきましたので、ぜひ沖縄県でも復帰前に実現しておかないと、他府県業者と同じ市場で競争するにはあまりに差が開きすぎている。これを是正するためにぜひ集団化による協業化を実現したいということで集まったのが、この印刷団地のスタートであると思います。


夢にまで見た集団化

司 会 印刷団地に移ったということで、最新の設備が入りましたし、工場の広さ、スペースもかなりあるということで、同業者からは羨まれる反面、中には妬まれているような感じがあって、営業的な面でも苦労もあったと聞いておりますが……。

古 堅 移転をしまして、夢にまで見た我々の集団化がここに完成するということですから、当初は同業者からこれは本物にはならないよ、どこかで途絶えてしまうだろう、というようなこともしばしば耳にしました。実現をして移転したのですが、顧客からは大変な応援をいただいたり、従業員も狭い町方で作業していた時とはうって変わって、工場の広さにびっくり、端から端まで声をかけても届かないのでは、というぐらいの状況でありました。従業員の皆さんも非常に喜んで、将来をたいへん楽しみにしていたと思います。

宮 良 移ってきた時は、工場が大変ひろくて生産環境としてはすばらしいものだと感じました。しかし、設備がちょこちょこ増えてきますと、決して広くないという状況になりましたね。

司 会 各社に協業化機械を導入していますが、例えば光文堂にはA倍版の4色機、高速には菊半版の4色機。上之山にはタイプレスとか、あるいはサン印刷、セントラルには伝票用の輪転機と。その当時、最新鋭の機械だったと思いますが。

外 間 復帰が2年後の1972年5月15日と決まった頃に、印刷団地の計画をたてて、日本政府の大蔵省に予算をつくるようお願いしておりましたが、日本政府は沖縄の経済振興をかなり念頭に入れていたからだと思うのですが、雑貨事業協同組合、中部建材事業協同組合、印刷団地協同組合と、この3つの組合が高度化事業となりました。このうちのひとつの組合が予算を返上することになったものですから、当時の琉球政府、たぶん、中小企業課だったと思いますが、印刷団地で使うのなら使っていいですよ、という話がありましたので、それならばということで印刷団地では台数を増やすとか、機械を大型化するとか、このような経緯で協業化機械を設定、設置していきました。

協業化設備で平等を期す

司 会 各社、協業機械を入れたのですが、それにもれていた内山印刷さんとうるま印刷さんも後日、何らかの処置をとったと聞いていますが。

古 堅 当初は各社に協業機械の受け入れ希望を募ったのですが、内山さんとうるまさんは、2社共同で導入したいという希望でしたが、それが認められなかったわけです。そして、移転をし、操業に入り協業機械の稼働がはじまるのですが、そこいらから自分達が協業化機械の恩恵に与かっていないと。したがって、協業化なみの扱いの設備を導入させてくれということで、申し出があり、組合で協議をした結果、平等公正の見地からもこれは妥当だろうということで導入を決定したと考えております。

司 会 どのようにして平等を期したのですか。

外 間 制度資金は特利特枠の資金ですね。特利といいますのは2.7%、当時定期預金の金利が5%ぐらいです。そして特枠といいますのは、通常運転資金の借入期間というのは長くて7年ぐらいですが、この制度資金は15年です。これと平等な取扱いをしてくれといううるま印刷さんと、内山印刷さんから申し入れがあったのです。これは制度資金だからできたのですが、たまたま浦添の土地を売って、かなりの剰余金が出ているわけですから、それでは、そういうような配慮をして、平等な扱いをしようかと皆さんに諮りましたら、「よろしい」ということになりました。

司 会 版式別、工程別、専業化という言葉をよく聞きましたけれども、いわゆる活版グループとオフセットグループというかたちがありましたが、当時は活版からオフセットに移行期で、活版グループはずいぶん苦戦していましたが、サン印刷も活版グループで、活版の仕事がどんどん減っていく中で、なかなか売り上げを伸ばしきれなかったのですが、活版グループはすべて経営が厳しかったですね。まあうるま印刷さんはいい内容でしたけれども、タイプのほうはどうだったんですか、その頃は。

古 堅 印刷団地に移転を希望した時から、タイプ印刷への切り替えを見込んでやっておりました。その頃活字についての鉛害の規制が非常に厳しくなりまして、活字を使わない版式、生産システムはどれかということで、タイプ印刷のシステムが導入されるきっかけになりました。タイプ印刷導入が顧客のニーズと合致し仕事は多かったですね。活版の皆さんが活字を使って文字物をやっていましたけれど、タイプ印刷に切り替わる時期であったわけです。

司 会 当時、上之山で営業をしていた小濱社長、タイプ印刷はどのような状況でしたか。

小 濱 当時、松本タイプとうちが大手のタイプ会社ということで、競争相手はいつも松本だということでやっておりました。カラーは高速印刷へ、ページものとタイプものは上之山印刷へということで、たくさんの仕事が舞い込んできたのを覚えています。ただ、タイプものは、手直しが多くて、打ったものに穴があいて、それを張り替えてまたその上に打ったりとか、手間がかかり大変でした。

司 会 また一方、カラー化がどんどん進んでいった頃でもあったと思います。高速印刷のソルナの4色機でしたかね。なかなかいい機械でしたが、宮良さんどうでしたか。

宮 良 高速印刷も4色機は初めてで、ガデリウスという明治時代にできた商社があり、そこからスウェーデン製のソルナという機械を導入したのですが、うちの印刷担当の先輩方、オペレーターは大変使いにくいということで、相当努力して、使いこなし4色刷りの効果をあげてくれたと思います。

司 会 落成式の当日の模様をどなたか話してくれませんか。

外 間 昭和48年5月に落成式を盛大にやりました。製本の前の中央道路に大きな舞台をつくってあったんですが、あいにく雨天になり、急遽、紙倉庫、この組合の下に移してやりました。

司 会 私はその頃、学生でしたが、アルバイトでサン印刷のカメラマンをやりました。落成式についてほかにありませんか。

古 堅 沖縄県での集団化事業の第1号だということで、落成式には県内外からもたくさんの方々にご出席をいただいて、盛大に行われました。組合員それから従業員も一堂に会して大盛況の落成式でありました。その当時のことが今でもよみがえるように浮かんできます。

小橋川 当日の余興は内山さんの奥さんがリーダーになって取り仕切って下さったんです。奥さんは芸能が好きで、自費で人を集めて余興を盛り上げてくれました。大変ありがたかったですね。

外 間 落成式のあとですが、昭和48年7月に、沖縄開発庁の岡部事務次官がわざわざ見学に見えました。また11月には、屋良県知事も視察に見えております。このように印刷団地の落成は相当、話題をよびました。大変苦労も多く大きな事業でしたが、30年経ちました今、本当によかったと思っています。

司 会 さて、印刷団地の運営がスタートしました。いろんな事業をやっていますが福利厚生事業について、お話を伺いたいと思います。まず、その中の食堂運営について。

(平成17年5月26日発刊「創立30周年記念誌より抜粋)

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