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沖縄印刷団地協同組合WEB

30周年座談会


part 3

財務研修会で発奮

司 会 私が参加した頃は、新垣専務がだいたい中心になっていました。私の会社は業績が悪かったものですから、厳しい指摘をいつも受けていましたので、財務研修会に参加するのが憂うつでしたね。しかし大変勉強になりましたし、発奮の材料にもなりました。今ではほんとにありがたかったと思います。

小 濱 私が営業部長の頃に、財務研修に出させてもらったんですが、新垣専務がいろいろ数字を見せながら、てきぱきと悪い点、いい点を指摘していくというのがすごく印象に残っています。しかし、何で自分の会社まで、全部の前でさらけ出さないといけないのかと、ここまでしないと団地には残れないのか。そういった心境が錯綜していましたね。ただ、他の会社の財務状況を聴くことによって、逆に発奮してうちの会社もうるまや高速、光文堂みたいな優良企業にいつになったらなれるだろうかと、財務研修会は大きな私の勉強課題として、メリットとして現在につながったんじゃないかと思っております。

照 屋 私も途中から財務研修会に参加させてもらったのですが、まずびっくりしました。いくら協調の精神でお互い事業をやっているということであっても、まさか全部の財務諸表をさらけ出して、しかも痛いところをついてくるというようなことを堂々とやっておりましたので、こちらに入ってきてまず第一にびっくりしたことでした。しかし、そういう勉強会をしたからこそ、財務的な面でレベルアップが図られたんじゃないかと思います。

外 間 金融事業をやる中で、真っ先に困りましたのは、12社の会計年度がバラバラになっていることでした。1月に始まって12月に終わる会社。アメリカ式の7月に始まって6月に終わる会社。そして日本式の4月に始まって3月に終わる会社と、不統一ですね。そして同じ紙を買ってもそれぞれ勘定科目が違う、いろいろ思い思いに記入されているということがあり、これを統一しないと、組合運営がうまくいかないということで福税理士に講習をしてもらいました。
 新垣三津夫さん、久場篤さんや稲福正樹さんは沖縄にも数少ない、非常に経営能力に秀でた方々でしたので、経営コンサルの講習会をしてもらいました。財務研修と経営コンサルの講習会をやる場合、それぞれの会社の財務内容を公開すべきか、すべきでないかという議論があったのですが、みんなが胸を張ってそれを容認できるように頑張りましょうと、当初は少し抵抗もありましたが、皆さんの協力でこれを受け入れた事が、印刷団地の金融事業が、まったく遅滞なくスムーズに進んできた大きな原動力になったと思います。

島 袋 財務研修会は、非常に効果を出したと思いますね。記録を見ますと13回で終わっているんですが、最終回が昭和62年ですね。ずっと続いていれば、企業活性化につながっていたと思います。私も数回、勉強会には参加させていただいたんですが、新垣さんの財務分析力には、ほんとに感心しました。それから同じテーブルにのせて、各社のものを公平に見ることが、先ほど理事長が金融事業とのからみでおっしゃったように、やはり各社が健全でないといけません。1カ所がおかしくなれば足を引っ張るということになる。みんなで激励していこうということもあっただろうと思います。それが各社が1件の支払い遅滞もなく続けられたということだと思います。
 もう1点、久場篤さんは加工高を重視する経営をしないといけないことをその研修会で言っていたのが非常に印象深いですね。売り上げではないのだと、加工高にこそ利益があるのだということで、水膨れの売り上げをするよりは加工高を増やしていくことを主眼におかなければと強調しておられました。これは今の経営にも非常に大事なことで、加工高重視の経営は、おそらくこれからもずっと重視していかねばならないのではと、あの当時を振り返って思いました。

宮 良 私達の会社の創業者である久場篤氏は財務について、大変力を入れて私たちに教育しておりました。今おっしゃった加工高に対する考え方を、我々も守ろうと思って頑張ってきているのですが、大変厳しい競争の中での加工高を確保するためにいかに内部生産体制を上げていくか、合理化していくかということと、ただ競争にうつつをぬかすのではなく、付加価値を高めるような営業努力を続けているのですが、財務研修会の流れの中のこういうお話が出て、今、その考えを新たにしています。

司 会 いい経営をなさっている会社の話とか、新垣専務の財務分析を通じて、勉強できたこと、ほんとに印刷団地に来てよかったと思います。うちの会社のことを考えますと、那覇市内にいたらここまでできていたのかなと思います。印刷団地に来て切磋琢磨する中で、自分達も少しは磨かれてきたかなと、感謝しております。
 印刷団地がスタートしてまもなく、沖縄紙工が設立され、組合に加入していますが、それについての説明をお願いします。

外 間 高度化資金は2年据え置き、13年の均等払いということで、2年間は利息だけ払っていたのです。いよいよ3年目に入り、元利合計を払うようになりましたが、体質が良くないところには少し負担が重すぎるということがありました。福利厚生施設としてのバレーコートがありました、が「なくてもいいんじゃないの、ここにどこか入れよう」ということになり、理事会の議論を経て印刷関連企業であれば組合員資格がありますから、そういうところに加入していただくようにという文書を発しました。結局福山商事にお願いをして印刷団地と王子製紙と3社で合弁会社として沖縄紙工をつくりました。それで沖縄紙工が入るようになったわけです。そうすると各社の負担額が9%ぐらい軽減され、大いに助けられたということです。

古 堅 団地内では製袋ができないので、製袋事業を団地内に取り込みたいということでそれができるところはどこかということから選択をしましたら、福山商事が引き受けるということから、製袋事業が始まったという経緯があります。

司 会 営業間の結びつきは、以前の方が現在よりも横のつながりがあったような気がしますね。営業代表者会議というのがありましたが、その活動状況はどうでしたか。小濱さん、覚えていらっしゃいますか。

営業の皆さんは大変意欲的で

小 濱 確か小橋川哲さんが会長で私と宮城さんが副会長というかたちで、営業代表者会議が結成されました。最初の頃は、各社の営業マン達と懇親しながら、いろんな情報交換をしていましたが、いつのまにか立ち消えになってしまい、もったいないというのは確かにあります。ただ最初の頃は、いい意味でのつながりはあったかもしれないが、本音で話せない何かが生じてきたのではと、正直感じました。ただ、対外的には印刷団地にいると、水と空気以外は何でも印刷できますよということで、そういった意味では営業間で「君のところで緊急にこれを仕上げられるか」という話ができるようになったということで、仕事がしやすかったのは確かです。

宮 良 印刷団地の各社は、ここで操業する前まではそれぞれの地域で営業を続けていて、集団化に伴って、新しい場所で、設備も新たになって活気に満ちていたと思います。特に営業の皆さんは大変意欲的で、情報交換とか、個人的なレベルにおいても活発な交流があったと記憶しております。代表者会議なども、情報交換の場としては大変よかったと思います。しかし、実態として営業活動を組織的にやれなかったのではないかという気がします。

司 会 ここに営業代表者会議で発行した団地内報の「和と輪」がありますが、12号までで終わっているようですね。この写真を見ますと、みんなやはり若いですね。話はそれますけど、印刷団地のこの会議室でよく皆さんマージャンをやっていましたが、なぜやめたんですか。

宮 良 仕事が終わった頃、和気あいあいとマージャンを楽しんだメンバーはたくさんおりました。マージャンはなぜ出来なくなったかというと、マージャンをやった後、汚れたらしいんですよ床が。それで新垣専務から「出ていけ」と言われて、エコーボウルの隣りのエコーホテルかな。そこの1室を有志で借り切って、マージャンをした覚えがあります。ただ、クーラーがきかないので暑くて大変でしたね。

外 間 マージャンもそうですが、囲碁もかなりやっていました。親睦をかねて、いろんなサークルがあったんですね。一時期は女性にお花を教えるサークルもありましたね。

古 堅 この営業活動の一環として、営業代表者会議と銘打って、団地組合の年間予定の中でもちゃんとした予算を立てております。これは営業会議というものは我々の生産活動での一番トップに立って、市場で頑張っていただくものですから、どうしても予算立てして大きな事業としてつくってほしいという要望があって、出来上がったものでした。
 当初は、どっちかといえば、団地内仲間の仕事の奪い合いはしてはならん、紳士的にいきましょうという大義名分を立ててやってきたわけです。だんだん生産設備も整ってきて、営業の知識、技術も上がってくると、いわゆるパイの奪い合いが始まってきたわけですね。それを防ぐにはどうすればいいか、ということでいろいろ行われてきましたが、いわゆる活発に営業をするところはそれなりの成果を納めていきますが、紳士的に守っているところは、逆に言えば奪い取られてしまった。そこから、ほころびが出はじめた。それがいつのまにか衰退につながったと思います。

司 会 今のお話は、今後の印刷団地の各社の営業の在り方につながる事だと思いますが、私としては、ひとつ屋根の下にいるのですから、お互い調整しあって、共存共栄で伸びていけるよう、話し合っていい方向にもっていければと思います。
 さて、これまでにいろんなビッグイベントがありましたね。海洋博、730(ナナサンマル)、若夏国体及び海邦国体、その後サミット、地域振興券と色々ありましたが、海洋博には、協力しあって受注に頑張ったということですが、どなたかお話をお願いします。

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